秘境ラジオ ep.525

ep.525 戦争③ 日本はパラオで何をしたのか?第二次世界大戦とペリリュー島での激戦

・パラオ編 ・24分

ep.525 戦争③ 日本はパラオで何をしたのか?第二次世界大戦とペリリュー島での激戦

チャンネル登録してね!

エピソードの内容

8月14日。81年前のこの夜、日本の多くの人は、まだ翌日に戦争が終わることを知りませんでした。私たちは今回、実際に訪れたペリリュー島を起点に、日本が統治していたパラオで何が起きたのかをたどります。

学校を作り、日本語を教え、道路や産業を整えた日本。一方で、その教育には統治する側の価値観が入り込み、戦争が始まれば島そのものが日本とアメリカの戦場になりました。

そして戦争が終わったあとも、太平洋の島々は大国の核実験や安全保障に翻弄され続けます。そんな中で、パラオは核を厳しく制限する憲法をつくりながら独立を目指します。

「親日国」という一言だけでは見えてこない、日本とパラオの関係。誰がその土地の言葉や教育、未来を決めるのか。そして戦争は、本当に終戦の日に終わるのか。全3回の最後に、実際に島を歩いて感じたこととともに考えます。


※1 カバーアートに使われている石碑は、ペリリュー島のペリリュー神社にあるものです。本編でも紹介していますが、現地でこの碑文を読むと、たしかに救われるような気持ちになる文章でした。


ただ、ニミッツ本人が実際にこの言葉を書いたことを示す一次資料は確認されておらず、その真偽は分かっていません。


そして私たちは、この碑文を読んで「救われる」と感じた自分の気持ちそのものも、考える必要があると思いました。兵士たちの勇気や愛国心に心を動かされることが、気づかないうちに戦争そのものを肯定することにつながるかもしれない。


今回のテーマは、戦争を上辺だけで見ないこと。美談にも、単純な善悪にもせず、その奥にあるものまで考える。その象徴として、この石碑をカバーアートに選びました。


※2 本編で中島敦を「ゴッホと同じく生前無名だった作家」として紹介しましたが、中島は死の年、1942年に文壇デビューしています。『文學界』に「山月記」「文字禍」が掲載され、続く「光と風と夢」は芥川賞候補となり、川端康成が強く推しました。ただしその期間はわずか8ヶ月ほど。同年12月、33歳で急逝し、「弟子」「李陵」などの代表作の多くは死後に発表されています。生前無名だったのではなく、認められた直後に世を去った作家という点では、ゴッホよりは救いはあったのかもしれないですね。