動物と人間の歴史からひも解くオーストラリアの姿!なぜ大自然の宝庫なのか?

動物と人間の歴史からひも解くオーストラリアの姿!なぜ大自然の宝庫なのか?

オーストラリア旅行記

なぜオーストラリアに多様な有袋類がいるのか?

オーストラリアといえば、コアラやカンガルー。どちらもお腹の袋で赤ちゃんを育てる有袋類として知られています。

コアラ

でも、なぜ彼らはこの大陸に生息しているのでしょうか?

答えは約1億年前までさかのぼります。当時、地球には「ゴンドワナ大陸」と呼ばれる超大陸があり、今の南アメリカ・アフリカ・オーストラリア・南極・インドがひとつにつながっていました。
有袋類は南アメリカで誕生し、この大陸が分裂する前にオーストラリアにも移り住んだと考えられています。

約4,500万年前、オーストラリアが完全に孤立したことで、外敵の少ない環境で独自の進化が進みました。コアラの祖先もこの頃に誕生し、のちにカンガルーやタスマニアデビルなどが登場します。

カンガルー

一方、南アメリカでは北アメリカとつながったことで、有袋類は“胎生哺乳類(有胎盤類)”に淘汰されていきます。唯一生き残ったのがオポッサム。
もしオーストラリアが孤立していなければ、コアラもカンガルーも存在しなかったかもしれません。

アボリジニが語る「自然と共に生きる」世界

人類がオーストラリアにやってきたのは、今からおよそ5万〜6.5万年前。氷河期末期にニューギニア島から渡ってきたとされ、先住民アボリジニとして知られています。

彼らは「人も自然の一部」と考え、大地・風・星を崇拝する文化を築きました。文字を持たず、歌や踊り、壁画によって神話を語り継ぐ“口承の民”。世界遺産にも登録されている「ウルル(エアーズロック)」は、アボリジニにとって「祖先の霊が眠る神聖な地」なのです。

ウルル

※ウルルは、約5億年前の堆積岩(砂岩)が隆起・傾斜したものです。

植民地時代、悲劇の始まり

時は流れ、1770年。イギリスの探検家ジェームズ・クックがオーストラリアを「イギリス領」と宣言します。当時のイギリスは刑務所が満員状態。新しい流刑地としてこの大陸を利用しました。

流刑者や兵士が移住し、やがてヨーロッパ各国からも一般移民が集まるようになります。その結果、海沿いの豊かな土地は次々と奪われ、アボリジニは内陸の乾燥地帯に追いやられました。

暴力、感染症、狩猟によって人口は激減し、1920年には7万人ほどにまで減少したといわれています。

白豪主義と“盗まれた世代”

1901年にイギリスから独立したオーストラリア政府は、「白豪主義」を掲げ、白人以外の移民を排除。
アジア人には入国テストを課し、アボリジニには“保護”と称して同化政策を行いました。

1869〜1969年の100年間、アボリジニの子どもたちは親元から引き離され、白人家庭や施設で育てられたのです。これが「盗まれた世代」と呼ばれる悲しい歴史。

彼らの文化や言葉は抑圧され、多くの家族が引き裂かれました。

変化の兆しと多文化社会への歩み

第二次世界大戦後、世界に「人種差別反対」の流れが広がります。
1972年、ウィットラム首相のもとで白豪主義が廃止。移民政策は“人種ではなく能力”を重視する仕組みに転換されました。

2008年には、当時の首相ケビン・ラッドがアボリジニに対し公式に謝罪。長い迫害の歴史に、ようやく区切りがつきました。

いまのオーストラリアはどんな国?

現在のオーストラリアの人口は約2,600万人。国土は日本の約20倍ありますが、人が住むのは主に沿岸部のわずか5%。乾燥した内陸では水資源が乏しく、マレー・ダーリング川流域での灌漑農業が命綱となっています。

多くの人が暮らすのは、シドニー・メルボルン・ブリスベン・パース・アデレードなど海辺の都市。
今ではアジア系移民も増え、多文化国家としての成長を続けています。

旅人が感じる“もう一つのオーストラリア”

オーストラリアを知ることは、自然の進化だけでなく「人間社会の多様性」も学ぶこと。
孤立した大陸が育んだ生態系と、傷を乗り越え共存を目指す人々。この国はまさに、地球の縮図=人と自然の関係を映す鏡です。

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