動物と人間の歴史からひも解くオーストラリアの姿!なぜ大自然の宝庫なのか?

動物と人間の歴史からひも解くオーストラリアの姿!なぜ大自然の宝庫なのか?

「なぜコアラやカンガルーはオーストラリアにしかいないのか?」
この疑問の答えは、今から数億年前の地球の姿にありました。

本記事ではオーストラリアにおける動物の歴史と、先住民アボリジニから現代まで続く人類の歴史についてご紹介します! 動物と人間の2つの視点から、オーストラリアの知られざる姿をひも解いていきましょう。

有袋類のルーツは南アメリカにある!

コアラ

オーストラリアといえば、コアラやカンガルーといった有袋類(ゆうたいるい:お腹の中の袋で赤ちゃんを育てる動物)を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか?

実はコアラもカンガルーも、オーストラリアにしかいない固有種。なぜ彼らはこの大陸にしか生息していないのでしょう?まずはその謎を見ていきましょう!

有袋類の故郷は「南アメリカ」だった

今から遠い昔の話。かつて地球には「ゴンドワナ大陸」と呼ばれる巨大な大陸がありました。 現在のオーストラリア、南アメリカ、アフリカ、南極、インドがすべて陸続きだった時代です。

▽6億年前の地球(ゴンドワナ大陸)

Paleoglobe for the Ediacaran Period, 600 million years ago, by CR Scotese, PALEOMAP Project

この地図の時代からさらに時が進み、恐竜が生きていた約1億年前(白亜紀)

今の南アメリカのあたりで「有袋類の祖先」が誕生したと考えられています。それらの一部が、まだ陸続きだった南極大陸を通って、はるばる今のオーストラリアに渡ってきました。

「孤立」が生んだユニークな生態系

そこから時は流れ、地殻変動によりゴンドワナ大陸は徐々に分離していきます。
そして、今からおよそ5,000万年前。ついにオーストラリアは完全に孤立した島のような状態になります。

▽5,000万年前の地球(赤いピンの場所が“西オーストラリア”)

Paleoglobe for the Early Tertiary, 50 million years ago, by CR Scotese, PALEOAMP Project

オーストラリアで生息していた有袋類たちも隔絶された状態に…。

しかし、この孤立こそが結果的にユニークな生態系を育てる鍵になりました!オーストラリアは、運よく大型の肉食動物(捕食者)が少ない環境だったため、有袋類たちはのびのびと独自の進化を遂げていったのです。

この時代、森の中にはカンガルーやコアラの「祖先」にあたる原始的な有袋類がすでに存在しており、その後数千万年かけて、大陸の環境変化に合わせて多様な姿へと進化していきました。

カンガルー

一方、故郷の南アメリカでは…

一方、有袋類のルーツである南アメリカのあたりは過酷でした。

南北アメリカが陸続きとなり、北から強力なライバル(有胎盤類:人間やライオンなど、お腹の中で子を育てる動物)が入ってきたことで、生存競争に負けて数を減らしてしまったのです…!

プチ豆知識

現在、アメリカ大陸には唯一「オポッサム」という有袋類が残るのみ。
他の有袋類はほとんど絶滅してしまいました。

オポッサム

もし、オーストラリアが孤立してなかったら…コアラもカンガルーも、この地球上にいなかったかもしれません。そう思うと、今コアラやカンガルーを見ることができるのは、地球の歴史が生んだ奇跡なのだと改めて思います。

さぁ、続いて人類の歴史を見ていきましょう!!

人類がオーストラリアに上陸!アボリジニと独自文化

5,000万年前の話から一気に時代は進み、今からおよそ6万5000年〜5万年前。

ついに人類がオーストラリアにやってきました!先住民・アボリジニの登場です。 彼らは氷河期末期、まだ一部が陸続きだった頃に「ニューギニア島」などの北側からボートを使って移動してきたとされています。

アボリジニたちは、乾燥地帯かつ他の大陸からも隔絶されていたオーストラリアで「人間も自然の一部、大自然を崇拝しよう」という思想のもと、独自の文化を築いていきました。

彼らは文字を持ちませんでしたが、その代わりに「ドリームタイム(夢の時代)」と呼ばれる神話や教えを、歌や踊り、そして絵画で語り継いできました。アボリジニの壁画の中には4万年以上前のものもあり、現存する世界最古の芸術の一つとされています。

エアーズロック(ウルル)

オーストラリアのシンボル「エアーズロック」も、現地ではアボリジニの言葉で「ウルル」と呼ばれ、祖先の霊が眠る最も神聖な場所です。

ヨーロッパ人が到来。先住民悲劇の時代へ

イギリス人が上陸。流刑植民地として使われる

さて、先住民族アボリジニの時代からさらに時は流れ、オーストラリアの歴史がガラリと変化します。

1770年、イギリスの探検家ジェームズ・クックがオーストラリアに上陸。そして一方的に、この地を「イギリス領」として宣言しました。

ジェームズ・クックの肖像画

当時のイギリスは取り締まりが厳しく、刑務所は常に定員オーバー状態。そこで彼らは、オーストラリアを「流刑植民地」として利用しました。つまり、犯罪者を遠く離れたオーストラリアに追放し、その地での居住を強制したわけです。

今まで穏やかに暮らしてきたアボリジニにとっては、犯罪者とその監視役がオーストラリアに住むようになったこの状況…とても恐ろしかったと思います。

先住民族・アボリジニの迫害

人口が増えるとだんだん食糧や人手が不足しはじめ、イギリス人たちは一般の移民も募集するようになります。イギリスだけでなく、ドイツ・イタリア・ギリシャなどのヨーロッパ各国から移民もやってくるようになりました。

その結果、住みやすい海岸沿いはヨーロッパ人たちに奪われ、先住民アボリジニは内陸へと追いやられることに…。以下の記事で、オーストラリアの気候について取り上げましたが、オーストラリアの内陸って乾燥地帯で、食糧も安定しないため非常に住みにくい環境なんです。これは死刑宣告に等しいものでした。

迫害はさらにエスカレートしていきます。当時のイギリス人の日記には「今日は17匹狩った」という記載が残っており、スポーツハンティング、つまり、娯楽や優越感のためにアボリジニを殺害していたことが明らかになっています。本当に恐ろしい話です。

他にも、集団を離島に置き去りにして餓死させたり、水場に毒を流したり…想像を絶する残虐な行為が行われました。また、外部から持ち込まれた感染症(天然痘など)に対し免疫を持たなかったアボリジニは、病によっても多くの命を落としました。

ゴールドラッシュ

アボリジニにとって地獄のような状況が続く中、1851年にオーストラリアで金が発見されます。そのことを聞きつけた人たちが、外国から労働者としてたくさん集まりました。いわゆる、ゴールドラッシュというやつです。

ニューサウスウェールズ州で豊かな金鉱脈を発見した「ホルターマン」、235kgの金の標本を持っている

中でもとりわけ多かったのが中国人です。彼らは安い賃金でも働きっぷりがよく、重宝されたみたい。でも、白人たちはこれを快く思っていませんでした。次第に「俺たちの仕事を奪うなと!!」と不満が高まっていきます。

白豪主義の時代へ

白人の不満が募る一方、オーストラリアの経済は成長し、1901年にオーストラリアはイギリスから独立を果たします。

しかし、独立後、白人が多くを占める政府がまず取り組んだのが「移民制限法」でした。
これは「白豪主義」という国家政策に基づき、白色人種以外の移民を受け入れることを基本的に禁止するというものです。移民テストをヨーロッパの言語に限定することで、アジア人を排除しました。

一方、国内ではアボリジニへの迫害も終わりません。白人とアボリジニは区別され、「保護」という名目で彼らは管理対象となりました。先住民保護区が作られ、白人と同じ文化を強要されることになったのです。

さらに…アボリジニの子どもや混血種は親元から引き離されました。「白人の進んで文化のもとで育てられるべき」という建前のもと、強制収容所や孤児院などの隔離施設に連れ去られてしまったのです。これはアボリジニを絶滅させ、新しいオーストラリアを作ろうという恐ろしい企みでした。

このむごい行いは、1869〜1969年の100年もの間続けられました。この期間に親から引き離された子どもたちは「盗まれた世代(Stolen Generations)」と呼ばれ、その数は推定10万人以上に上ると言われています。

ヨーロッパ人が来る前は推定50万〜100万人いたアボリジニ人口は、1920年時点では約7万人にまで激減してしまいました。

近代のオーストラリア

白豪主義の終わりと和解

第二次世界大戦後、世界的に「人種差別撤廃」の動きが高まり、オーストラリアも変わらざるを得なくなります。また、経済的にもアジアとの貿易が重要になったことで、1970年代に白豪主義は完全に撤廃されました。

同時に、アジアの発展に伴い、距離が近いアジアとの貿易が重要になってきました。人口が少ないオーストラリアにとって、移民を制限し続けることは現実的ではなくなったのです。

そして2008年。当時のケビン・ラッド首相が、アボリジニ(特に盗まれた世代)に対して、国として初めて公式に謝罪を行いました。 2008年といえばつい最近のこと。長い歴史の中で、ようやく和解への大きな一歩が踏み出されたのです。

先進国として発展するも、課題は人口密度?

現在のオーストラリアは、移民を受け入れて人口が増加し、豊富な資源を背景に先進国として発展しています。

しかし、人が住めるのは気候の良い海岸沿いの街(シドニーやメルボルン、ブリスベン、パース、アデレード、ケアンズ)だけ。国土のたった5%のエリアに、人口の大部分が集中しています。

海岸エリアの都市

オーストラリアの人口は約2,600万人。国土は日本の約20倍もあるのに、人口は日本の5分の1以下。世界的に見ても、オーストラリアはトップクラスに人口密度が低い国の一つです。

国を発展させるには人口はとても重要な要素。しかし、移民を制限していた過去もあり、オーストラリアは人口増加で出遅れてしまいました…。

そのうえ、乾燥地帯が多く「人が住める土地が少ない」という根本的な問題も抱えています。

「同じ砂漠大国のエジプトには人が集まっているじゃないか!」と思うかもしれませんが、エジプトにはナイル川という安定した巨大な水源があり、その流域に人口が集中しています。

一方、オーストラリアには大きな川はあるものの、降水量が少なく水量が不安定。内陸部では川が枯れてしまうことも珍しくありません。安定した水源に乏しいため、広大な国土の大部分が居住に適さず、人口も産業も海岸沿いの一部に集中せざるを得ないのです。

そんな環境のため、国内での輸送コストが高く、内陸部の開発も進みにくい…なかなか大変な土地柄なのです。

まとめ:オーストラリアが教えてくれること

今回は、オーストラリアの歴史を動物と人間の観点から見てきました!

  • 有袋類の奇跡: 5000万年前の「孤立」が、コアラやカンガルーたちを守り抜いた。
  • 人類の歴史: アボリジニの独自文化と、その後の悲劇的な歴史、そして現代の和解。

「孤立」によって生まれた奇跡の生態系、そして人間が繰り返してきた過ちと再生の歩み…。 オーストラリアは、自然との共生の素晴らしさと、多様性を尊重することの大切さを、私たちに問いかけてくれているように思います。

前回の記事で「オーストラリアは地球の縮図」と言いましたが、オーストラリアはまさに様々な自然と、人間の本質がギュッと詰まった国なのです。

ポッドキャストでもこのテーマについて語っています!ぜひこちらもどうぞ。

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