ツタンカーメンは、古代エジプト史の中では
「重要な王」ではないとされる。
それでも彼の名前は、
ピラミッドを建てた王たちよりも知られている。
なぜだろう。
たぶん理由は、ひとつじゃない。
ざっくり言うと、こんな要素が重なっていると思う。
- タイムカプセルのような状態で王墓が見つかったこと
- 少年王という物語性(短命、謎、悲劇)
- 黄金マスクの圧倒的なアイコン性
- 発見のドラマ(カーターとカーナボン卿の執念)
- 現在も更新され続ける数々の謎
歴史から消された「あやふやな王様」
ツタンカーメンは、以下のポッドキャストでも触れたとおり、存在があやふやだった王様だ。 任期も短ければ、王様として大きな仕事もしていない。公には記録も消されていた人物だった。
でも、たまに出土する品々には、ツタンカーメンの文字に「カルトゥーシュ(王名を囲む楕円形の枠)」のマークがある。(※1)つまり、「正式に記録は残っていないけど、実は存在したのかな?うーん、わからん…」という状態だったの。
そんなツタンカーメンのお墓を発見したのは、ハワード・カーターという人物です。このカーターの発見の物語が感動するから、ツタンカーメンは今も愛されているのだと思います。
カーターの半生:精密模写の才能
1874年に生まれたハワード・カーターは、9人兄弟の末っ子でした。

お父さんは動物画家でしたが、家計は苦しく、彼も体が弱かったことから学校に通えませんでした。それでもカーターは絵に夢中で、独学でその腕を磨きました。
17歳の時、その才能が認められ大英博物館のテストを受けることになります。
テスト内容は、古代エジプト王の像を模写すること。美術学校のエリートたちが集まる中、選ばれたのは無名のカーターでした。
合格の理由は、絵のうまさというよりも、「目に映るものを誰よりも正確に、精密に模写できたこと」。この実直さが、後の大発見を引き寄せます。
考古学の父との出会い
カーターは後に「考古学の父」と呼ばれるフリンダース・ピートリー(※2)の助手となります。ピートリーから学んだのは「どんなに小さな遺物にも敬意を払い、正確に記録すること」。この真摯な姿勢が、後に世紀の発見を支えることになります。
紀元前から続く「墓泥棒」という家業
ここで少し余談を。
古代エジプトには、墓を荒らすことを生業とする人々が、はるか昔から存在していた。
それは一時的な犯罪というより、墓の位置や構造に関する知識と土地勘を受け継ぐ、
一種の「家業」に近いものだったとも言われている。
その中でも特に有名なのが、19世紀後半に活動していたアブドル・ラスール一族だ。
彼らは代々、王家の谷一帯の墓に精通しており、
紀元前13世紀ごろから墓泥棒をしていたという伝承さえ残している。(※3)
19世紀後半、ラスール一族の一人(※当時の当主世代)は、
歴代の王や王族のミイラおよそ40体が隠されていた場所に関与したことで知られる。(※4)
彼らはそこで見つけた装飾品を密かに売りさばいていたが、やがて当局に捕まり、取り調べを受けることになった。
しかし皮肉なことに、その過程で彼らが案内した場所からは、
ラムセス2世をはじめとする大王たちのミイラが次々と見つかった。
墓を荒らしてきた一族が、結果的に王たちを「再発見」する役割を果たしたのだ。
この出来事が公になった頃、ハワード・カーターはまだ幼い少年だった。
やがて17歳でエジプトに渡ったカーターは、
先輩たちから、こうした話を何度も聞かされたに違いない。
「王家の谷は、もう掘り尽くされた。
もし未発見の墓があるとすれば、伝説のツタンカーメンくらいだろう。
……まあ、夢物語だが。」
この言葉が、カーターの心に火をつけた。
カーター運命の出会い:カーナボン卿との誓い
不遇の時代を経て、33歳のカーターは運命のパートナー「カーナボン卿」と出会う。
「新しい墓を見つけたい」という純粋な夢を持つカーナボン卿と、情熱溢れるカーター。二人は意気投合し、ツタンカーメンを探す旅に出る。

しかし、その道のりは険しいものだった。第一次世界大戦による中断、5年経っても成果が出ない焦り…1921年、ついにカーナボン卿から「もう打ち切りたい」と告げられます。
「あと一年だけ、あと一年だけやらせてくれ!結果が出なければ給料は自分で払う!」
カーターの必死の訴えに、カーナボン卿は最後の一年のチャンスを与えることに。
カーターのラストチャンス:ラムセス6世の小屋の下
1922年、カーターは最後の賭けに出る。彼が発掘をはじめた場所は、すでに調査済みと思われていたラムセス6世の墓のすぐ下だった。普通の考えでは、王の墓の上に別の王の墓があるはずがない。

でも、カーターは自分の直感に賭けたのだ。「ラムセス6世の時代(ツタンカーメンの死後、約200年が経った頃)の作業員ですら、ここにツタンカーメンが眠っていることを知らなかったのではないか?」
同年11月4日、発掘作業員の叫び声があたりに響く。ついに、地下へと続く階段が現れたのだ。
そこには、一度も破られていないことを示す「未開封の封印」が残されていた。(※5)

カーター奇跡の発見:「なにがみえるかね?」「ええ、素晴らしいものが」
1922年11月26日、電報を受けて駆けつけたカーナボン卿が見守る中、ついに壁が壊された。(※6)
穴の中に明かりを差し込み、中を覗き込むカーター。あまりの光景に絶句し立ち尽くす彼に、カーナボン卿が問いかけます。
「なにがみえるかね?」
カーターは震える声で答えた。
「ええ、素晴らしいものが」
そこには、3000年の時を超えて、どこもかしこも黄金に輝く財宝が眠っていた。

なお、世紀の大発見の日付は、一般的にこの日「1922年11月26日」として知られている。(※6)
黄金マスクに秘められた「18歳の素顔」
ツタンカーメンの王墓から発見された財宝の中でも、世界を震撼させたのが「黄金のマスク」だ。

・緻密な細工:目は白い石英と黒い黒曜石でできており、今にもまばたきをしそうなほど生々しい輝き。
・青いラインの秘密:黄金に映える青いラインは、当時金よりも貴重だったとされる「ラピスラズリ」を模したガラスや貴石が埋め込まれている。(※7)
黄金のマスクには約11kgもの純金が使われているが、単なる豪華な宝飾品ではない。実は、マスクの顔はツタンカーメン本人の特徴を驚くほど正確に捉えているのだ。
このマスクの下には、若くして命を落とした18歳の少年の、静かな素顔が隠されていた。(※8)
悲劇の王妃・アンケセナーメン
黄金の椅子に残された愛
ツタンカーメンを語る上で欠かせないのが、若き王妃「アンケセナーメン」との物語だ。
墓の中から見つかった「黄金の玉座(椅子)」の背もたれには、仲睦まじい二人の姿が描かれている。アンケセナーメンが夫の体に香油を塗っている、日常の何気ない、けれど愛に満ちた場面。

しかし、二人の幸せは長くは続かなかった。
幼い子供を相次いで亡くし、さらに夫であるツタンカーメンも18歳という若さで急死してしまう。
黄金マスクよりも感動した「一輪の花」
ツタンカーメンのミイラの胸元には、143点もの豪華な装飾品とともに、ヤグルマギクの一輪の青い花が添えられていたそうだ。

カーターが棺を開けた瞬間、その花にはまだ色があったと言う。しかし外気に触れた途端、色は消え崩れ去ってしまった。(※9)
この時、カーターは思ったそうだ。これは最愛の王妃アンケセナーメンが、最後に手向けたものだと。
数々の黄金よりも、この一輪の花こそが、ツタンカーメンが愛されていた証であり、最も価値のあるものだった。ツタンカーメンは不遇の王と呼ばれているが、もしかしたら王妃の前では愛情ある安らぎの日々を送れていたのかもしれない。
カーターにとっても、生涯をかけて見つけた最高のお宝は、黄金ではなくこの一輪の花だった。
今も王家の谷で眠り続ける王
ツタンカーメンの発見は、20世紀最大の奇跡。多くの王のミイラが博物館へ移される中、カーターはツタンカーメンを移動させることに強く反対したと言う。

その願い通り、ツタンカーメンは現在も王家の谷の自身の墓の中で静かに眠っている。本来の王墓に納められている、世界で唯一の王なのだ。(※10)(※11)(※12)
実際に現地を訪れた際の体験および、ツタンカーメンのミイラの写真を公開するに至るまでの葛藤について以下の記事でまとめています。ぜひ、あわせてご覧ください。
王家の谷「ツタンカーメン王墓」を訪れた!見どころや注意点をご紹介
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歴史の裏側:本編の補足
記事をより深く楽しむために、本文では触れきれなかった背景や史実を補足するガイドです。
本編の流れを妨げない範囲で、歴史の裏側にあたる情報をまとめています。
墓泥棒の逸話 ― アブドル・ラスールという存在
墓泥棒の逸話として語られるアブドル・ラスールは、当時からセンセーショナルな話題として、今日まで語り継がれてきました。
アブドル・ラスールは、単なる墓泥棒として語られることが多い人物ですが、それだけではありません。
史料の中には、彼が当局の捜査や発掘に協力し、約40体のミイラの発見に関与した功労者の一人として記されているものもあります。(※4)
また、ラスール本人に取材したとする参考文献には、その協力の対価として5万フランが支払われたと記されているものもあります。
これは当時としては非常に高額で、彼が後に一家でホテルを経営するようになった背景の一つともされています。
さらに、彼の家族や現地の証言によれば、ラスールはツタンカーメン王墓発見以前から、カーターのチームに対して情報提供や調査協力を行っていたとするエピソードも残されています。
公式な発掘報告書に詳述されることは少ないものの、近代考古学の舞台裏では、いわゆる墓泥棒と呼ばれてきた人々の知識や協力が、重要な役割を果たしていたことは間違いありません。
補足:アブドル・ラスールの世代について
「アブドル・ラスール」の名で語られる人物には、複数の世代が存在します。
19世紀後半、王家のミイラがまとめて発見された「王家キャッシュ(TT320)」の文脈で名前が挙がるのは、Ahmed Abd el-Rassul ら一家の年長世代です。
一方、1922年のツタンカーメン王墓発見時に現場にいた「水汲みの少年」として近年語られるのは、Hussein Abdul Rasoul とされ、当時12歳前後だったとする説が広く知られています。
本文で扱う「ラスール」は、主に前者の文脈に基づいています。
ツタンカーメンの「呪い」について
ツタンカーメン王墓発見後、カーナボン卿の死をきっかけに、関係者が次々と亡くなったとされる「呪い」の話は、当時の新聞が書き立てた伝説に近いものです。
実際には、カーターをはじめ多くの主要関係者は、その後も長く存命していました。
年配の読者の中には、少年少女の頃にこうした逸話を本や雑誌で読んだ記憶がある方もいるかもしれません。
ヤグルマギクの花
棺の中に花が納められていたこと自体は事実ですが、その色については、「乾燥して茶色くなっていた」という記録も残されています。(※9)
一方で、カーターがその花に深いロマンを感じていたことは、彼自身の記録からもうかがえます。
「唯一の王」という表現について
現在、エジプトの王家の谷において、発見された当時の墓(玄室)で、そのままミイラが安置・公開されている王として語られるのは、ツタンカーメンのみです。(※11)(※12)
この表現は、厳密な意味での唯一性というよりも、
「墓と一体で語られる象徴的存在」という意味合いで用いています。
脚注
表記について
本文中の「ラムセス」は、資料により「ラメセス」と表記されることもありますが、本稿では表記を統一し「ラムセス」と記載しています。
※1 カルトゥーシュ
本文中で「丸印」と表現しているのは、古代エジプトの象形文字において王名を囲む楕円形の枠(カルトゥーシュ)のことです。
※2 フリンダース・ピートリーと「科学としての考古学」
「宝探し」を「科学」へ
フリンダース・ピートリーは、財宝だけでなく土器の破片一つにも価値を見出し、精密な記録を重ねる近代考古学の手法を確立しました。
カーターの原点
「物に敬意を払い、徹底的に記録せよ」という師の哲学は、ツタンカーメン王墓発見後のカーターの慎重かつ緻密な作業を支えました。
日本考古学への影響
「日本近代考古学の父」とされる濱田耕作は、ロンドンでピートリーに師事した教え子の一人です。その縁により、京都大学にはピートリーから寄贈された貴重なエジプト遺物が現在も受け継がれています。
世紀の発見を支えた「科学の精神」は、日本の考古学の発展にも大きな影響を与えていました。
※3 紀元前13世紀から墓泥棒
この記述は、伝承や後世の語りを含むものであり、史実としては誇張を含む可能性があります。本稿では「伝説的な語り」として扱っています。
※4 19世紀後半のミイラ発見(DB320周辺)
王家のミイラがまとめて発見された出来事は広く知られていますが、人数や正確な年次、報奨金の有無など細部については、史料や語りによって差があります。
※5 未開封/完全未盗掘について
ツタンカーメン王墓では封印が残っていたことが重要視されますが、古代に侵入された形跡があったとする指摘もあります。それでも膨大な副葬品が残されていた点は、極めて特異です。
※6 1922年11月26日という日付
カーターが小さな穴から墓室内部を覗き、「素晴らしいものが見える」と語った象徴的な瞬間の日付は、一般に1922年11月26日とされています。ただし、封印確認や関係者立ち会いなど、複数の日付が絡む点には留意が必要です。
※7 青いライン(ラピスラズリ)
黄金マスクなどに見られる青色は、必ずしもラピスラズリそのものではなく、ガラス素材などで表現されている場合もあります。
※8 黄金マスクは「肖像」か
黄金マスクは理想化された表現とする見方もあり、どの程度ツタンカーメン本人の特徴を反映しているかについては、研究者の間でも解釈が分かれています。
※9 花の色について
副葬品の花については、青かったとする語りがある一方、乾燥により茶色だったとする記録も残されています。
※10 カーターの反対意見
カーター自身の思想として語られることはありますが、現在の展示・保存の判断は、保存科学や観光、政治的要因など複合的な事情によるものです。
※11 現在も墓の中で展示されているか
ツタンカーメン王墓(KV62)内で展示されていると紹介されることが多いものの、展示状況は保存方針の変更により更新される可能性があります。
※12 「唯一の王」という表現
本稿での「唯一の王」という表現は、「墓と一体で語られる象徴的存在」という意味合いで用いています。厳密な定義は、時期や公開状況によって揺れがあります。
参考文献
現地で学んだことや海外文献も多く参照していますが、本稿では下記の日本語文献を主な手がかりとしています。とくに導入部分では、日本の文献が理解を深めるうえで大いに参考になりました。
概説(古代エジプト・オリエント世界の全体像)
- 山崎世理愛/五十嵐大介『一冊でわかるエジプト史』
(河出書房新社、2023年) - 髙井啓介・監修/菊地昭夫・まんが/近藤たかし・シナリオ
『集英社版 学習まんが 世界の歴史 1
オリエントと地中海の文明(エジプト・メソポタミア・ギリシア)』
(集英社、2024年) - 津本英利『ヒッタイト帝国 「鉄の王国」の実像』
(PHP研究所、2023年) - 出口裕弘『星座の起源 古代エジプト・メソポタミアにたどる星座の歴史』
(河出書房新社、2021年)
ツタンカーメン(王・王墓・発見史)
- 仁田三夫/村治笙子『図説 ツタンカーメン王』
(河出書房新社、2024年) - 西公平・漫画/黒沢翔・シナリオ/吉村作治・監修・解説
『ハワード・カーター
ツタンカーメン王の墓を発見した考古学者
(学習漫画 世界の伝記NEXT)』
(集英社、2011年)
ピラミッド(建造・王権・研究史)
- 河江肖剰『河江肖剰の最新ピラミッド入門』
(日経ナショナルジオグラフィック社、2016年) - 大城道則『図説 ピラミッドの歴史』
(河出書房新社、2014年)
資料・図鑑(社会・宗教・考古学的背景)
- 河江肖剰・監修『古代エジプトの教科書』
(ナツメ社、2023年) - 河原よしえ『徹底図解 古代エジプト(カラー版 徹底図解シリーズ)』
(新星出版社、2008年) - 近藤二郎『古代エジプト解剖図鑑』
(エクスナレッジ、2020年)
