8月になり、戦争に関するニュースや特集を目にする機会が増えてきました。
私たちはもうすぐ、戦争の爪痕が今も残るパラオのペリリュー島へ向かいます。
国際情勢への不安が高まり、再び大きな戦争が起こるのではないかという声も聞かれる今、このタイミングで戦争について向き合いたいと思いました。
【第1回】なぜ人は戦争をするのか?日本の戦争のきっかけは何だったのか
第1回では、なぜ人や国は戦争を選んでしまうのかを考えます。
自分たちの国や家族、言葉や文化を守ろうとすることは、本当に間違いなのでしょうか。
一方で、「国を守るため」という理由が、他国の土地や暮らしを奪う侵略へ変わることもあります。外国に支配されることを恐れた日本が、なぜ国を強くし、やがて他国を支配する側へ進んでいったのか。
黒船来航から日清戦争、日露戦争までの歴史をたどりながら、「戦争反対」の一言だけでは見えてこない、防衛と侵略の境界について考えます。
聞き始める前に
戦争に関する展示は、国によって解釈が異なるのはもちろん、同じ施設でも、訪れた時期によって内容や語り方が変わります。靖国神社の遊就館も、2002年の全面改装後、海外からの批判を受けて一部の記述が見直されたことがあり、現在も展示品の入れ替えや説明文の改稿が行われています。
私たちが実際に訪れた施設も、それぞれ訪問した時期が異なります。
そのため、今回お話しする印象や内容は、現在の展示と必ずしも同じとは限りませんし、展示から何を感じるかにも個人差があります。
5年、10年と経てば展示そのものが変わることもある、という前提でお聴きください。
ポッドキャストでは迷いも含めてお話ししています。
【第2回】日本はなぜ戦争を止められなかったのか?
第2回では、第一次世界大戦から真珠湾攻撃までの歴史をたどりながら、日本がなぜ戦争を止められなくなったのかを考えます。

戦争によって国力や領土を広げた成功体験、欧米から受けた人種差別、関東軍の独走、そして中国から撤退できないまま進んだアメリカとの対立。
日本は一つ前の選択を守るために次の選択を重ね、そのたびに引き返せる道を失っていきました。
「ここでやめたら、これまでの犠牲が無駄になる」
その思いが、さらに大きな犠牲を生んでしまう。途中で間違いを認め、やめることの難しさに向き合います。
【第3回】日本はパラオで何をしたのか?第二次世界大戦とペリリュー島での激戦
第3回では、実際に訪れたペリリュー島を起点に、日本が統治していたパラオで何が起きたのかをたどります。
学校を作り、日本語を教え、道路や産業を整えた日本。
一方で、その教育には統治する側の価値観が入り込み、戦争が始まれば島そのものが日本とアメリカの戦場になりました。
そして戦争が終わったあとも、太平洋の島々は大国の核実験や安全保障に翻弄され続けます。そんな中で、パラオは核を厳しく制限する憲法をつくりながら独立を目指します。
「親日国」という一言だけでは見えてこない、日本とパラオの関係。誰がその土地の言葉や教育、未来を決めるのか。そして戦争は、本当に終戦の日に終わるのか。
全3回の最後に、実際に島を歩いて感じたこととともに考えます。
ポッドキャストのカバーアートでも使用されている下記の石碑は、
ペリリュー島のペリリュー神社にあるものです。
ポッドキャスト本編でも紹介していますが、現地でこの碑文を読むと、たしかに救われるような気持ちになる文章でした。

ただ、ニミッツ本人が実際にこの言葉を書いたことを示す一次資料は確認されておらず、その真偽は分かっていません。
そして私たちは、この碑文を読んで「救われる」と感じた自分の気持ちそのものも、考える必要があると思いました。兵士たちの勇気や愛国心に心を動かされることが、気づかないうちに戦争そのものを肯定することにつながるかもしれない。
今回のテーマは、戦争を上辺だけで見ないこと。美談にも、単純な善悪にもせず、その奥にあるものまで考える。その象徴として、この石碑をカバーアートに選びました。
中島敦について
ポッドキャスト本編で中島敦を「ゴッホと同じく生前無名だった作家」として紹介しましたが、中島は死の年、1942年に文壇デビューしています。
『文學界』に「山月記」「文字禍」が掲載され、続く「光と風と夢」は芥川賞候補となり、川端康成が強く推しました。ただしその期間はわずか8ヶ月ほど。
同年12月、33歳で急逝し、「弟子」「李陵」などの代表作の多くは死後に発表されています。
生前無名だったのではなく、認められた直後に世を去った作家という点では、ゴッホよりは救いはあったのかもしれないですね。