パラオは本当に「世界一の親日国」なのか
次の旅先に決まったパラオ。その準備を進める中で、旅の大きなテーマのひとつになったのが、日本とパラオの歴史的なつながりです。
パラオについて調べると、「世界一の親日国」という言葉を目にする機会がとても多くあります。
たしかに、日本統治時代の歴史や現在も残る日本語由来の言葉など、日本との結びつきが深いことは事実です。
しかし、これまでさまざまな国を旅し、それぞれの歴史を学ぶ中で感じるようになったことがあります。
それは、一方の立場だけで歴史を見ることは、とても危ういということです。
実際に日本で出版されている書籍の中には、「日本がインフラを整備し、日本語教育を行ったからパラオは親日になった」というような、日本側にとって都合のよいストーリーだけが語られているものもありました。
もちろん、日本統治時代に築かれたものが現在でも評価されている側面はあります。
一方で、他国を統治し、自国の言語を公用語として広めることが、その土地の文化やアイデンティティにどのような影響を与えたのかも考えなければならないと思います。
以前訪れたスリランカでも、言語政策が人々の暮らしや民族間の対立に大きく影響した歴史を学びました。
だからこそ、「親日だから良かった」という単純な話で終わらせるのではなく、多角的な視点でパラオという国を知りたいと思っています。
パラオ国旗は日本への敬意を表したデザインなのか
その象徴的な例が、パラオの国旗です。

青い背景に黄色い円が描かれたデザインは、日本の日の丸によく似ていることで知られています。
日本では、こんな話を耳にしたことがある人も多いのではないでしょうか。
「パラオの国旗は日本への感謝と敬意を込めてデザインされた。」
「黄色い円が少し左に寄っているのは、日本の日の丸に遠慮したから。」
日本人にとっては、とても誇らしく感じるエピソードです。しかし、調べてみると、この話を裏付ける公式な資料は見当たりませんでした。
むしろ、国旗をデザインしたジョン・ブラウ・スケボング氏は、黄色い円は収穫と平和を象徴する満月、青は太平洋を表しており、日本の国旗を特別に意識してデザインしたわけではないと語っています。
また、円が中央から少し左に配置されている理由についても、「旗が風になびいたとき、人の目には中央に見えるようにするため」という、デザイン上の視覚効果によるものだと説明しています。

この考え方は、バングラデシュの国旗にも共通しています。
つまり、「日本への遠慮」という説は、デザイナー本人の説明とは異なっているのです。
「日本への敬意」という物語はどこから広まったのか
では、「日本への敬意を込めた国旗」という話は、なぜ広まったのでしょうか。
1979年にパラオでは国旗デザインの公募が行われました。
応募数については、1000点以上だったという資料もあれば、デザイナー本人は20点ほどだったと語っており、正確な数は分かっていません。ただ、多くの候補の中から現在のデザインが選ばれたことは事実です。
その選考を行ったのは国民投票ではなく、当時の指導者たちでした。彼らの多くは、日本統治時代に日本語教育を受けた世代です。
そのため、日本に親しみを感じていた人がいた可能性は十分考えられます。
そうした背景から、日本人が「日本への思いも少し含まれていたのではないか」と想像すること自体は自然なことかもしれません。
しかし、その推測がいつの間にか「日本への感謝を込めて作られた国旗」という断定的なストーリーとして広まり、事実のように語られるようになった可能性はありそうです。
もちろん、現地で年配の方に尋ねれば、「日本と似ているよ」と笑顔で答えてくれるかもしれません。
けれど、それは相手の優しさや親しみから出た言葉であり、国旗が生まれた背景そのものとは別の話なのかもしれません。
デザイナーが込めた思いを知ると、満月を見たくなる
国旗をデザインしたジョン・ブラウ・スケボング氏は、こんな趣旨の言葉も残しています。
「日本は日本、パラオはパラオだ。あなたはパラオの満月を知っているか。」
この言葉を知ったとき、とても印象に残りました。
国旗に描かれた黄色い円は、日本へのメッセージではなく、自分たちの国の自然や文化を象徴する満月だったのです。
そう考えると、パラオの夜空に浮かぶ満月を、自分の目で見てみたくなりました。
仕事でデザインに携わる立場だからこそ、作品は受け手の解釈だけでなく、制作者自身の意図も大切にしたいと感じています。
日本の国旗にも本来込められた意味があります。
もし海外で全く異なる意味が事実のように広まっていたら、少し複雑な気持ちになる人も多いのではないでしょうか。
だからこそ、パラオの国旗についても、現地で実際に掲げられている姿を見て、その土地の空気の中で感じてみたいと思っています。
ペリリュー島や非核憲法など、現地で学びたい歴史
今回の旅では、国旗だけでなく、日本とパラオの関係を考える上で欠かせない場所にも足を運ぶ予定です。
そのひとつが、第二次世界大戦で激戦地となったペリリュー島です。
日本軍とアメリカ軍による激しい戦闘が繰り広げられたこの島には、現在も多くの戦跡が残されています。
日本軍が島民を避難させたという話も広く知られていますが、その背景や、島の人々がどのような体験をしたのかについても、現地で学びたいと考えています。
さらに、戦後のパラオがアメリカとの長い交渉の末、非核憲法を掲げた歴史についても調べる予定です。
戦争や核兵器の問題は、一方の立場だけで語れるものではありません。
だからこそ、実際に現地を訪れ、その土地の景色や人々の声に触れながら、自分自身の目で感じたことを、旅の中で少しずつお伝えしていきたいと思います。
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