漠然としたマチュピチュへの憧れ
マチュピチュといえば、「奇跡の天空都市」「天空の城」などと言われている。南米へ行く前からマチュピチュに行きたいと言っている人はたくさん見てきたけど、マチュピチュのことは何も知らなかった。インカ帝国の何か程度しか知らなかった気がする。
南米へ旅立つことになり、マチュピチュには絶対行くしかないだろうと思い、それをきっかけにハマりました。
この記事の要点
マチュピチュを読み解く3つの鍵
- 発見まで400年間「空白」だった天空都市。スペイン人の襲撃から逃れ、現代にまで奇跡的に残った理由とは。
- 遺跡の価値は「目に見える部分」だけじゃない。500年経っても崩れない秘密は、地下に隠された驚異の「排水システム」にあり。
- なぜあえて過酷な山頂を選んだのか。最新の知見でも語られる「聖なる場所」としての役割を、独自の視点で解説。

マチュピチュ遺跡とは?どこの国にある?
南米ペルーの雲の中に佇む「天空都市」マチュピチュ。まずはその基本的なプロフィールと、世界中の人々を惹きつけてやまない概要から見ていきましょう。
マチュピチュは遠く離れた南米ペルーにあります。標高2,430mの場所にインカ帝国時代に作り上げられた石造りの街が今でも残っていて、それらをマチュピチュ遺跡といいます。
マチュピチュ遺跡に入場したらすぐに遺跡が見れるわけではない。遺跡に入場したらまず森の中を歩きます。息を上げながら坂道を登っていくと、いきなり視界が開きます。その先にはマチュピチュの全貌が目に飛び込んできます。

突然現れる巨大遺跡は、本当にここにあったんだと関心せざるをえない。あたり一体は神聖な空気に包まれていました。
マチュピチュ遺跡は、実際インカ帝国時代には数百人が住んでいたとされ、総面積325.9 km²もある。規模がデカくてどのくらいの大きさなのか伝えるのが難しいけど、ゆっくり歩いても半日はかかる。

石の建造物は神殿や住居、水路など200以上残っていて、どれも人の手で作ったとは信じられないくらい精巧です。
マチュピチュには400年の空白がある
16世紀の帝国滅亡から1911年の再発見まで、なぜこの巨大な遺跡は誰にも見つからず眠り続けることができたのか。その「空白の400年」には驚くべきドラマがありました。
インカ帝国は滅亡されたが、遺跡は生き残った。

1450年頃にマチュピチュの建築が開始されます。しかし、1533年にはスペイン人に襲撃され、インカ帝国は早くも滅亡してしまいます。インカ帝国の歴史は意外にも短いんですよ。
インカ帝国は滅亡しますが、マチュピチュは山の上にあったので、スペイン人に気付かれず、壊されることはありませんでした。
その後、マチュピチュに住んでいた人々はそのまま息途絶えた人もいれば、違う村に移り住んだ人もいたとされています。でも誰もマチュピチュの存在は他言しなかったんだとか。だって他言したらマチュピチュにある財宝を誰かに奪われてしまう可能性があるからね。
400年間の眠りから目を覚ます。

マチュピチュはそこから400年もの間、ひっそりと存在し続け、誰にも気づかれませんでした。そして、1911年についにインカ帝国の遺跡が眠りから覚めます。発見者はアメリカの探検家、政治家、教授のハイラム・ビンガムさん。インディジョーンズのモデルとなった人です。
ビンガムさんは、ビルカバンバという都市に金や銀がたくさんあると思って探していましたが、農民から遺跡の情報を入手します。バブロという子どもが案内してくれて、ついにビンガムさんがマチュピチュ遺跡を発見!ビンガムさんは驚愕し、調査団を設け、人骨をはじめ銅製品、銀製品、織物、キープ土器などを発掘し、保存活動へ。
1983年には世界遺産に登録され、マチュピチュは世界中の観光客から訪れる人気の観光地となりました。
マチュピチュは危険な場所にある
断崖絶壁、かつ断層の真上という、現代の建築基準では考えられない「最も危険な場所」に、インカの人々はあえて都市を築きました。そこには彼らなりの深い理由と、リスクを克服する知恵があったのです。

マチュピチュは土砂崩れの可能性がある
マチュピチュは神や宇宙か何か異次元の力が介入されているのでは考えられていたこともありました。それはマチュピチュがあまりにも危険な場所にあるから。
実は、マチュピチュは土砂崩れを起こす可能性がある場所にあるのです。雨季には日本の夏と同じくらいの雨が降り、土砂崩れの危険性が高まります。加えて、地震を起こす2本の断層線もあり、危険極まりない。
マチュピチュの建設を始めた時はおそらく地盤を固めるところから入ったとされる。というか、地盤を固めないとこんな石の遺跡は建てられないはず。マチュピチュ遺跡はとても綺麗で、その芸術性に引かれるけど、知恵・知識がとんでもないのだ。建設から500年経っても崩れていないから本当にすごいよ。
段々畑はただの畑じゃない
マチュピチュ遺跡の絵でよく見るのが、階段みたいになっている石組みの畑。これは「アンデネス」と呼ばれ、マチュピチュ周囲に連なっています。要は畑です。インカ帝国で暮らす人々の食糧はここからうまれました。

段々畑は3mずつ上がる巨大階段になっている。斜面の高低差をうまく活用し、農産物を育てていました。段々畑は太陽の昇る東の方角を向いています。日中に太陽の熱で石が温まり、夜も温室状態になる仕組みになっているのです。山岳地帯で発展したアンデス文明の知恵のかたまりとも言える。
さらにすごいのが、この巨大階段の内側。内側は土、川の砂、小石、石と4層になっている。ろ過器と同じ構造になっていて、雨が降っても徐々に地面に染み込むようにろ過器と同じ構造になっているのだ。砂や石がフィルターになってゆっくりと地面に染み込むから、雨水が溢れないのです。
段々畑は食料を蓄えるだけでなく、一番重要ポイントは、都市の地盤である山を支えること。大量の雨水を排水すること。雨を効率よく吸収し、排出すること。そうでないとマチュピチュは滑り落ちる。
世界も驚くマチュピチュ遺跡の排水システム
マチュピチュが500年以上の風雨に耐え抜いた最大の功労者は、石畳の下に隠された、現代の技術者をも唸らせる「網の目のように巡る排水溝」です。
マチュピチュ遺跡はどこもかしこも石で出来ている。床も石だ。石で出来た街には雨水の逃げ場がない。それだと困るからインカ人は100以上の排水溝を設けていたのです。

上から順に中央広場に水が流れるようになっています。中央広場の地面の下に小さく砕かれた花崗岩を引き、徐々に水が浸透するようになっているらしい。


マチュピチュ遺跡で本物の排水溝を見たときは興奮しましたね。だってこの画期的な排水システムは500年前に考えられ、作られたわけでしょ?インカ人の知恵は底知れない。
マチュピチュ遺跡はなぜあの場所に作られた?
そもそも、なぜこれほどの労力を注ぎ込み、不便な山頂を選んだのでしょうか。最新の研究でも明らかになりつつある「山の神々への信仰」というインカの精神世界に迫ります。
マチュピチュは山に囲まれ、地盤が不安な場所になぜ作ったのだろうか?いくら知恵と技術があるとはいえ、わざわざこんな場所を選ばなくても…。
さあ、ではその理由に迫っていきましょう。
まず押さえておきたいのはインティワタナという遺跡の存在。

マチュピチュ遺跡の一番高い場所には、インティワタナという四角柱の遺跡があります。日時計の役割があったとされていますが、諸説あり生贄の儀式が行われた場所であるとも言われています。
インカ帝国でも生贄の儀式があったのかもしれないのだ。
インカの人々にとっての神は山。
マチュピチュ内にはいくつもの山の形をした石があり、山を神としていたことが分かります。
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危険のある場所にマチュピチュが作られたのも周囲の山の神に祈りを捧げる意味があったとされています。確かにマチュピチュは高い山々に囲まれています。

そして、インカの人が神と崇めた4つの山が東西南北にあります。
東西南北の山の神を十時でまっすぐ線を引いた時の中点に・・・さっき紹介したインティワタナがあるとされてます!!!

これ、ぞわぞわしませんか!?マチュピチュすごいぞーー!!
山の神を拝むためにこの場所に建てたんです!!!(諸説あります)水も引けるからこの場所が理想だったんだろう。
ここまで知ったらもうマチュピチュに行くしかない。マチュピチュに行った冒険記は以下からどうぞ!
▼スタンドバイミーコースでマチュピチュ村へ向かう体験記
マチュピチュ村へ向かう道中の様子、マチュピチュ村の様子などをまとめています!オリャンタイタンボ村からバスに乗り、バス降車後にあの有名なスタンドバイミーコースを歩きました。
▼初めてマチュピチュ遺跡を訪れた体験記
マチュピチュを初めて肉眼で見たとき「本当に存在していたんだ。」と、シンプルにそう思い、静かにその感動を噛み締めました。マチュピチュ村から遺跡までアクセス方法、遺跡内の見どころなどを詳しく解説しています。
▼ワイナピチュ山の登頂体験記
ワイナピチュは、マチュピチュのすぐ後ろにある山で、頂上からはマチュピチュ遺跡を上から眺めることができます!そのワイナピチュに登ってきました。ワイナピチュの登山情報などを詳しく解説しています。
ポッドキャストでも熱く語っていますのでよかったら聞いてください!
FAQ
Q1:マチュピチュはどこの国にありますか?
南米のペルー共和国にあります。最寄りの都市はかつてのインカ帝国の首都クスコです。
Q2:マチュピチュは何年前、誰によって作られましたか?
約570年前(1450年頃)、インカ帝国の最盛期を築いたパチャクテク皇帝によって建設されたと言われています。
Q3:マチュピチュの標高はどれくらいですか?
標高は約2,430mです。クスコ(標高約3,400m)よりも1,000mほど低いため、高山病のリスクは比較的低いとされています。
Q4:マチュピチュの発見者は誰ですか?
1911年7月24日、アメリカの歴史学者ハイラム・ビンガムによって世界に紹介されました。
マチュピチュの最大の謎は何ですか?
文字を持たなかったインカ文明が、なぜ重機もない時代に巨大な石を精密に積み上げ、あのような断崖絶壁に都市を築けたのかという「建造技術の謎」が今も解明されていません。